子どもたちが強く、たくましく育ってほしい

ベアーズ略歴

1960年代 広島市西区横川町2丁目の横川第2公園や横川近辺の空き地では「こだま食堂」のたけっちゃん(当時、横川界隈の子どもたちを仕切ってい伝説の中学生。所謂ガキ大将) を筆頭に中学生から小学1年生までの子どもたち(このグループに代田少年、久保田少年、須毛田少年、影田少年、米田少年・・がいた事は今では語りぐさになっている) が徒党を組んで、毎日、朝から日が落ちるまでボールを追っていた。

 当時の横川界隈には数多くの製材所の材木置き場や製材置き場、空き地、公園があり、道路は舗装されておらず、雨が降ればあちこちに水たまりができ、子どもたちにとって好奇心を煽る多くの環境がいっぱいだった。そして、あちこちに点在する空き地や横川第2公園は子どもたちにとっては、大事な遊び場であった・・・・。そして道路ではろくむし、たすけ、リレー競争、空き地では軟庭ボールでの野球やはりつけ、馬跳び、公園では三角ベースによるソフトボールなど・・・・子どもたちは遊びを創造していた。
 夏休みとなれば、ラジオ体操が始まる前から、子どもたちはボールとグローブを持って公園に集まり、キャッチボールを始め、ラジオ体操が終わってからはいよいよ、みんな大好きな試合が始まり、母親が「朝ごはんよ~」と呼びに来るまで、一心にボールを追っていた。         

1995年7月 
 
それから30年たった1995年の夏。子どもたちの創造力を育んだ製材所の製材置き場や空き地は処にもなく、道路はきれいに舗装され、徒党を組んで走り回る子どももガキ大将もいない。夏休みなのに、横川第2公園ではボールを追う子どもたちの姿はなく、どこからも子どもたちの歓声は聞こえない・・・・。
 ラジオ体操が始まるまで公園は静か、ラジオ体操が終わると、また、公園は静けさが戻り、蝉の鳴き声だけが聞こえる・・・・(何かが違う。。。)。
 そして、夏休みのある日の朝、ボールとグローブを持った親子が公園でキャッチボールを始める。

1997年7月 三篠学区夏季球技大会で横川2丁目子ども会チームの優勝を機に、横川第2公園において、月1回ではあるが久保田オヤジ、宇根オヤジ(もちろん、愛する息子も一緒に)を中心に1年間を通じてのソフトボール練習が始まる。甲子園経験のある伝説の宇根オヤジは新聞紙を丸めた紙ボールを作り、子どもたちのバッティング練習に汗を流していた。
1998年秋 久保田オヤジの親友である代田オヤジが参加。さらに狩野オヤジ、野口オヤジ、高木オヤジ(後に大阪転勤)、伊東オヤジ(後に大阪転勤)らが加わり、年間を通して毎週日曜日の練習にパワーアップ。そして、遂に毎週日曜日の午前中の横川第2公園から子どもたちとオヤジたちの歓声が沸き上がり、横川第2公園は昔のように活気に溢れる。
 このとき、ついに、あの、アメリカ帰りの加来オヤジが颯爽と公園デビュー。代田マジックにかかったみたいにソフトボールの輪に入ってくる。
1999年 熱血漢藤本オヤジが参加。そして、ついに影田オヤジ米田勉オヤジも参戦。さらに、横川地区以外からも福原オヤジが参加し、ほぼ、役者がそろう。       
2000年 三篠学区夏季球技大会において、代田監督、久保田コーチ率いる「楠横ベアーズ」(楠木1丁目子ども会、横川1丁目子ども会、横川2丁目子ども会の合同チーム:映画「がんばれ!ベアーズ」で見せた全員野球の素晴らしさに感動して「ベアーズ」と命名)が優勝。代田監督は球技大会の意義を考え、ウインドミル投法のエース久保田をサードで使い、澄川をピッチャーに起用し、念願の全員野球で勝利を勝ち取る。ベアーズ一期生の坂本陽祐、宇根も5年生として優勝に貢献。

2000年7月 

学区優勝学区打上げ

 

 

 

 

翌8月、西区大会では球技大会で温存したエース久保田のもと、全員野球で堂々の3位。

西区大会

西区大会集合

 

 

 

 

★当時の登録選手

【6年】澄川享輔、久保田将司、浅田悠太、中里将志

【5年】宇根大貴、飯倉拓也、坂本陽祐、太閤隆規

【4年】久保田剛史、代田健太郎、坂本桂介、加来勇也、狩野達哉

【3年】原田諭志、武田大暉

 この勝利を契機に保護者が大いに盛り上がり、ホテルかげたの屋上ビアガーデンに約70名の親子が集まり、祝勝会を行った(すでに、この輪の中にはベアーズの三篠小学校校庭利用や、軟式野球チームに移行するおりにお世話になり、また中広中学校の水曜日練習枠をベアーズに提供頂いた大野市議の姿もあった)。影田オヤジからの「スポーツ少年団」の紹介に、今まで自由に親子でソフトボールをやってきた多くのオヤジ達は新たな組織に入ることに総スカンだったが、影田オヤジの粘り強い説得で、スポーツ少年団加入の意義を理解し、スポーツ少年団に加入することに決定する。
 スポーツ少年団に加入するため、全員でチーム名と帽子マークを検討。チーム名は「楠横ベアーズ」からチーム理念を表すため「ベアーズ」を引用し「三篠ベアーズ」とする。帽子マークは加来オヤジが熊さんの挿絵(現在のラッキー君)を提案するが、全員が想定外の可愛い熊さんに沈黙。が、沈黙の末、全員一致で熊さんを帽子マークにすることに決定。しかし、熊さんが可愛すぎて物足りないため、臼井オヤジが「子どもたちが強く、たくましく育ってほしい」との思いで、「立ち上がれ!(スタンディング)」を追加提案し、チーム名は「三篠スタンディングベアーズ」となる。

影田ホテル

 

←後姿は伝説の加来オヤジ

 

2001年3月 横川会館に保護者、水戸川楠木1丁目町内会長、牛尾横川1丁目町内会長、上田横川2丁目町内会長、今田体協会長などの出席を仰ぎ、三篠スタンディングベアーズの旗揚げ説明会を開催。説明会のあと懇親会で地域の皆様と意気投合する。(ベアーズと地域との関わりを強調する)。


そして、いよいよ、三篠スタンディングベアーズの歴史が始まる。

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